moon's refuge

槻*の織り成す言葉や世界観で詩や日記をメインに綴っていきます!((*´∀`))

だっ!!!!

 

こんばんは。槻です

 

 

今日はオフだったので1日おうちにいました。

 

 

 

トースターでパンを焼き囓り

歯を磨いて水道水で顔を殴って

タオルで拭いてぶんぶん振って乾燥させて

 

 

洗濯物を干して

父親が無くし物をしたから探すのを手伝って一緒に探して

気が付いたらお昼になっててって感じで。

 

 

探すの嫌じゃないんだけど、

いや、本当は嫌なのかもしれないけど

何されるか分からないから嫌じゃないって言ってるだけかもしれないけど

物を無くした犯人みたいな扱いで強制的に探させて

その一部始終を監視しながら見られ続けるのしんどい

 

家庭内でも冤罪ってあるんですね

 

ぼくは電車の中や会社、バスの中とかくらいだと思ってました

 

 

 

お昼ご飯にパスタを巻き巻きして

歯を磨いて

洗濯物を取り込んで

 

 

一通り終わって静かで自由な

無害な時間がやってきたので目を閉じて

瞑想したり、映画を観たりしてました

 

 

映画の内容はまったく触れずに

好きな役者さんが出てたからという理由だけで

ポチって観始めました。

 

 

すごいゆったりした時間で生まれてきた環境や葛藤を

抱えながらも寡黙に本音を言うわけでも無く従い

生きていく最中、別の人間と出会うことで少しずつ

人生に変化が、的な物語だったんですけど

最後まで観る気力がなくて途中で断念しました。

続きは明日にでも観ます。

 

 

感化されやすい人間なので本当はそういう作品じゃないかもしれないし

そう思ったり、感じていないのかもしれないけど

ぼくの場合、いろいろと投影されやすく、影響を受けやすいので

2人分の倍の人生が精神や意識にのしかかってきて

ぼくの脳やこころたちはそれらを打破するではなく

ぼくだったらこうする、今はこんな気持ちかもしれないっていう

心情や感情の起伏とか歯がゆい思いなんかがログのように

 

 

ばーっっっっと体中に溜まってく

無限に

思った以上に生きづらいです

 

 

この状態は映画だけに限らず

聞いた話、見た出来事、映画、ドラマ、実体験とか

いろんなことで感情や感覚とか思想、思考が大渋滞

 

大食いの人がたくさん食べて食べる量より消化するスピードが追いつかなくて

お腹が出ちゃったり、元の状態に戻すのに時間がかかるのと同じで

どんなにたくさん食べられても何事の変化も無く

常にその状態を維持していくことは難しいと思うんです

 

 

ぼくの脳やこころも処理する域を越えて追いついていない

パンクしても電源が切れても構わずあふれてきて

意識がなくなったり、呼吸がしづらくなって倒れたりする

血が体を循環するよりも何倍ものスピードだと思ってる

 

 

高速道路を流星が流れていくくらいの早さで

沈みきったり、なにかのスイッチが入って

思想が動き始めるとそこからは自分が自分じゃなくなるまでは止まらない

血が噴き出すんじゃないかと思ったこともあるし

血の気を抜くにはやはり切るしかなくて

 

 

映画が観るに堪えなくなったというよりは

このままでは映画どうこうよりも

感情に押しつぶされてしまうから

感情でも主を圧死させようとせめぎ立ててくるもんなんですね

あーこわいこわい

ぼくがいなければ呼吸すらできないやつらだっていうのに

 

 

映画を観たことで苦しんでる人間が3人も登場してしまって

なんとも謎な状況になってて意味が分からんトライアングル状態です

でも誰一人として助けてくれとは言ってなくて

みんな自分自身でなんとかしようとしている

 

だからこそ自分だったら、って無意識に降りてきたのかもしれない

 

言葉や意識は二の次で感覚が先に降りてくるってどういうことだ

 

 

こんな状態で映画館なんか行ったら

きっとぼくの体や脳やこころは四散して

スクリーンをぼくの血で染めていたかもしれません

 

ぼくはHIVとか性病には感染していませんが

コロナに感染してしまうより

他人の血を浴びせられる方が嫌でしょうから

 

 

映画は自宅でゆっくり観るのに限りますね

 

苦しんでのたうち回ろうが

過労死しようが他人に迷惑をかけずに済むし

好きなときにトイレに行けて

好きな水も飲める

 

 

広告だって飛ばせるし

好きなときに止められるし

大型スクリーンで観るときは

音や光よりも言語や思想に注意して観なければ

意識を持って行かれるので

映画好きでもこういう思いをして苦労されてる方もいるのかなー

 

 

ポップコーンなんか頬張る余裕は当然ないし

好きな人と手を握って見つめ合い

目で愛を語り合えるほど豊かで純粋さは焦土してしまって

ぼくには一滴の潤いもない

 

 

料理を出されて感想を述べるときも

欲しいものが手に入ったときも

ポーカーフェイスで本当に思っていないって思われがち。

 

真剣に美味しかったり

欲しかったと思ったから言葉にしているつもりなのに

人格否定や経歴そのものを愚弄されたり、完全否定される割には

ぼくが出会ってきたそういう人たちはやたら

言葉を求めてくる

 

 

「好き」だったり

「楽しい」だったり

そういう一緒にいたくなるような前向きな

綺麗な言葉たち

 

 

言葉を求められるから

真剣に考え、悩み、震えながらや緊張しながらでも

発したり、伝えようとする言葉がまったく伝わらず

否定されて拒絶されてしまう。

きっとぼくの伝え方や態度振る舞いが問題なんでしょうけど

 

 

だったら一体、どうして欲しいのか

言葉が欲しいのに言葉を贈ろうとして受け取れないなら

何だったら受け取ってもらえるのか。

 

 

ここ最近、ほんっと自分自身1番驚いていて

今でもめちゃくちゃ思うんですけど

よくまあ、ここまで根暗でネガティブなやつが結婚できたな、と

ぼくだったらこんなやつとは一緒にいたくない

 

 

あまりにも奥さんが不憫でならないので

離婚も何度か申し出てるんですけど

すべて断られてるんですよね

神様に頼んで人生を捨てに来て下さったのかもしれないです

ちょっと言葉が過ぎましたね。

自分を選んでくれた人に対して良くなかったですね。すみません。

 

 

今は途中で止めてしまっているのでこんな悲観たっぷりの

底なし沼から這い上がれない状態にいますけど

最後まで観ればもう少しは気持ちが明るくなれるかもしれない

 

最後の結末に期待して今日はもうなるべく考えないように

高速道路は通行止めにしたいと思います

 

 

こんな極端な負の感情むき出しで観る映画ではないと思うんですが

ぼくの性格上、どうしても避けられませんので

映画が気になってる方、監督、本作に関わった並びに関係者の皆様

決して、映画を酷評しようとか貶すつもりは一切なく

素直に映画と向き合って楽しもうと思って臨んだ結果

出てくる登場人物を凌駕してしまう程にぼくがダメージを負ってしまっただけであり

哀しいシーンでは監督さまの狙い通りであったかと思います。

どうかご了承下さい。

 

 

疲れたなー。

なんか甘いものが食べたい。